男鹿の嶋風(塩戸浦から舟で島巡り、門前へ至る)

真澄は「男鹿の春風」で五城目町の谷地中を出発、芦崎(八竜町)、真山に登り、北浦に逗留します。 

「男鹿の鈴風(涼風)」では、北浦から男鹿温泉・入道崎を経て戸賀に至りました。 


「男鹿の嶋風」鈴風では、その後塩戸浦から舟に乗り、島巡りをして門前に至ります。


塩戸の島々

=真澄記= 
右に宮島、左に興加知などを経る。 
安麻美久と言うところがある。天皇(あまみこ)の名にあやかったのであろうか。 
奮山(もとやま)の浜は昔抗山があったと言う。 
苗代島、琵琶島というあたりに、丸木舟を木の葉のように寄せて鰒(あわび)を獲る泉郎が沢山いる。 
おいろ浜の高所に鹿落としと言うところがあった。 
源六松、羽子を経て、磯橋の浜、貝崎、小赤島、青岩、大赤島などを経て、水島の加茂の浦に着いた。


加茂の島々
=真澄記= 
加茂の誉市から丸木舟を出した。 穴の口、白糸の滝がある。最上川より勝るか。 
大産橋がある。石梁のようであり、山橋・石橋というか面白い。帆掛けて入る舟もある。この石梁の上を一つ歯の足駄で渡った盲人がいると言う。 
小産橋というささやかな石梁がある。ここは舟が思うままにこぎ入れることはできないようだ。 
「あれに本山の寺が見える」と言いながら門前へ着いた。

穴の口

白糸の滝

大産橋


千畳敷

孔雀が窟

小産橋



なまはげ

真澄:なまはげ

=真澄記= 
小児が泣けば「なまはげが来た。」と言って脅す。 
これは平城(なら)の元興寺に鬼がいたとか、蒙古郡が襲ってくるのを恐れたのが基とも言う。 

「なまはげ」は正月十五日の夜に、身の毛もよだつ丹塗の面を被り、けら箕のを着て、手には刃物を持って小箱を背負い、その箱には何かが入っていてカラカラを鳴らし、家ごとに入る。


冬篭りして男女柴火にあたっていると、腿、脛(はぎ)に赤い斑点に火形がつく。それを「なまみ」「なもみ」と言う。「なまみを剥ぐ」と言うことか。童、若い女どもは、逃げ隠れると言う。

今に伝わるなまはげ