雪の山越え(五城目から上小阿仁へ)

文政3年(1820年)真澄67歳の紀行文です。 

五城目町から上小阿仁村までの山越えの紀行文です。 
ルートの紀行も十分魅力的ですが、土地に伝わる伝説や逸話にも興味がひかれます。

読者もこのルートを車で通る時、「ここがそうか」と思うでしょう。今、上小阿仁には秋田杉で建てた立派な「道の駅」があります。ここで一休みも風情があります。


山内

山内広ケ野から森山を望む

=真澄記= 
五城目の古河町の加賀屋某を立って山内へ向かう。 
途中、年貢であろうか、大勢が太い杖を雪の中に立てて、その上の俵を置いて、立って休んでいる。 
自分も一緒に休みながら語らった。 
五城目の狢(むじな)物語



山内/古城址

=真澄記= 
山内に山内右衛門尉某の柵址がある。 
また、猿田五郎の館の跡は、猿田の澤とて名だけ残っている。

 

 

 

真澄:山内古城


山内/円通寺

真澄:円通寺(ひなの遊び)

=真澄記= 
栃巌山円通寺という曹洞宗がある。昔は真言宗であった。 この寺は松前の殿様の菩提寺の末裔であり、山内右衛門某の菩提寺でもある。 
寺の宝物をはじめこの寺のものは「浦の梅園」という日記にしるした。 
この寺も、今は雪にうもれている。

円通寺


=円通寺解説= 

大同二年(807年)創立という伝説がある、県内でも古い寺院の一つである。 初めは天台宗であったが、後に曹洞宗の禅宗寺院となった。 

背後の山内城の城主三浦氏との関係からであろう、安東氏内戦による三浦氏の没落、松前への退去によって、法憧寺などの禅寺の末寺を建てていることでも、密接な間柄が知れる。 

三浦一族の位牌は、菅江真澄が「ひなの遊び」に記録したとおりで、他に町指定文化財の剣・鎧など、三浦氏の遺品などが宝物殿に展示してある。 本堂は向拝がない古い寺院建築で、重厚な風格がある。


黒土村/大馬澤

黒土の集落

=真澄記= 
<黒土村> 
中津股川を渡れば黒土という村が見える。野も山も皆黒土であることから、村の名となったそうだ。 

小倉温泉


<大馬澤の大津馬明神(大鍔明神)> 

小倉、湯の股、浅見内の温泉、大馬澤がある。 

大馬澤には牝馬ばかりで、牡馬はいないそうだ。牡馬は住まないが、牝馬は孕んで良い馬を産むそうだ。

よそから男馬が入り込んでくると、どこからともなく牡馬が馳せてきて、その男馬を噛み殺すとも言う。 

そこの山の上に大津馬の社がある。鉄の薬研の杵のようなものをご神体として、大鍔明神とも言っている。その由を知っている者はいなかった。

湯の股の集落

浅見内の神明社の杜

浅見内の神明社



中茂

真澄:中茂

=真澄記(図会説明文)= 
中茂は上小阿仁村の庄沖田面の枝村で、上南澤という山里だが、中母澤にあるので「なかも」というのであろうか。 
水上の澤に山の神社、馬頭観音・十王堂がある。 
住居は塩吹山の麓に5・6戸ばかりで、薪切りや炭焼きをなりわいとしている。

中茂


=AKOmovie= 
昔、中茂は五城目から上小阿仁へ行く割山峠を越えるルート上にありました。今国道258号はトンネルができて、中茂は道からはなれてしまいました。現在でも8戸だそうです。