阿仁の澤水

文化元年、真澄51歳の書で、文章もあったと推察されますが、図絵集が残っています。

阿仁山中の風景画集で、絵詩で内容が推察されます。

 阿仁山中の風景は、真澄翁の彩筆で永遠に伝えられています。

 

「阿仁の澤水」には当初日記本文があったとされています。

図絵中には阿仁銅山の絵があり、日記本文に銅の品質や産出量、精錬法等の記載があったため、文政5年これを明徳館に納める際に都合の悪い部分を廃棄したり削除したりして献納されたと言われています。


川井の共同墓地にある鎌倉時代の石碑。