筆の山口(川反から上北手大戸へ)

文政5年(1822年)真澄69歳の紀行文です。 


秋田市の茶屋町扇の丁(現在の大町三丁目)の杉野屋で正月を迎えました。 

三月二日、真澄は五丁目川反の鳥屋長秋宅から、川反・楢山・明田・横森をへて、上北手大戸の松淵正治に滞在します。 

また、大森町の波宇志別(ほうしわけ)神社の神官である大友直枝が尋ねて来て、真澄は、やがて八沢木を尋ねることを予感します。


当知山本誓寺

当知山本誓寺

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寺町の本誓寺、敬相寺、西勝寺、応供寺、善導寺などを記しています。

布金山応供寺



大戸
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上北手大戸の松淵正治宅から、真澄は一つ森付近を散策しています。 
「この寺の後ろには、かたくりがたいそう多く、すみれ、つるすみれ、桜すみれ、しょうじょうばかまな等が咲いて、めずらしい山坂である」と記しています。