文化13年(1816年)真澄63歳の随筆集です。
文化10年に、真澄は旭川をさかのぼり、手形、泉、新藤田、松原、藤倉、二別などの図絵を描いていますが、この時の旅行記を後に随筆としてまとめたものでしょう。
に別 |
=真澄記= 豊に流れる本流は「旭川」であり、川はその麓の山田を西に流れている。金花山の中腹に八幡神社を祀っている。 また、戸沢をいう谷川は、北東の長根から流れて、本流と合流している。 仁別川は、北東の方向から南西に流れて、襷平(たすきひら)という所で落ち合い、村は二つの川の険しい川岸の尾根や台地にひしひしと立ち並んでいる。 山の奥であるが豊な里である。産業もあり、住家も多い。男も女もみな藤皮の衣の出立、あるいは、田耕衣(たちぎ)という藤皮の白袴を着て、きこり、芝刈り、炭焼き、農作業にも綴衣(破れを繕った服)も見えない。 |
薬師の森
日陰渕
西勝寺
八幡宮
山伏森の寺ノ沢
仁別の集落