牧の朝露(田名部から大畑・易国間を巡る)

寛政5年(1793年)7月~7月、真澄40歳の紀行文です。

田名部(むつ市)から大畑・易国間(風間浦)を巡ります。


当時は北前船でにぎわう港町で、人の往来も盛んだったようです。幕府の特使などもいて、賑わっていたようです。

田名部から大畑へ

下北の昆布干し

=真澄記=

関根浜を過ぎた浜でえびすめ拾い(昆布拾い)を見た。

大畑では盆前夜でねぶた流しを見た。秋田ではねぶり流しであろう。

「ねふた」か「ねむた」か、地元でも言い争っている。

 

急用があって田名部まで戻り、再び関根浜に来たらはせに小麦を干していて、傍には蝦夷のしまおり(アツシ)をかけてあった。

 

釣屋浜を過ぎて水沢・かんかけの坂を下ると滝があり、清らかなのですくい上げて飲もうとしてたいそう袖をぬらしてしまった。

大畑のねぶた流し(資料)