氷魚のむらきみ(五城目の正月と八郎潟の氷下魚漁)

文化7年(1810年)真澄57歳の紀行文です。 

1月に五城目町の谷地中で新年を迎え真澄は、井川沖で八郎潟の氷下漁を見ます。 
ここで真澄は八郎潟での氷下漁業の漁法や説明を図絵に残しています。 
八郎潟は今は干拓され、広大な農地になって、トラクターが行きかっていますが、真澄の残した資料は、重要な秋田の漁業の遺産です。 

3月になって谷地中を出発、八竜町のを経て男鹿に入り、「男鹿の春風」と続きます。


五城目町谷地中の正月

=倉開きの祝い(正月十一日)= 


お神酒に酔いしれて女ども田唄を唄うのを聞けば、 

「年の始めのとし男、迎えたる若水、白銀(しろがね)の曲桶に、松やゆつり葉飾りつけ、黄金の柄杓で迎えた。」 

「今日の田植えの太郎次郎、なぜに鍬をかんずいた。福の種をおろすとて、それで鍬をかんずいた。」 

と唄っている。 


山の神の幣というものを藁(わら)で作って、それにくさぐさの物をかけて、処女(おとめ)らが、これを取ろうとして深雪を踏みしめて遊んでいる。


=十五日の慣例= 


夕方近く、「田植えをする。」と言って、雪に長竿を押し立てて、こもつちを下げて、茄子畑、瓜生を真似る。梨の林、桃の園に行って斧をふるふりをしている。 


更にふけて、祝いに出た人も帰ってくる頃、大臼、小臼を伏せて、稲に地虫を言うものを通して軒に下げている。 

囲炉裏の灰を盛っているのは、鴨に苗代を荒らされないようにとのまじないだそうだ。



八郎潟の氷魚漁

=真澄記= 

八郎潟の氷の下の網曳を見たいと、雪踏み分けて人の後についていった。雪は降りに降って、どこが田やら湖やら、、、 

大穴や小穴を掘って、浮きを竿の先につけて通し、小鍵で引き上げてはまた竿につけて通す。 

漁の魚は「真鮒」「白鮒」「鯔(ぼら)」等等。