平鹿のみたか(御鷹)(平鹿郡周辺)

平鹿郡増田地方を中心に記載されており、「雪の出羽路」執筆の準備のためまとめられたものと思われます。 

タイトルの「平鹿のみたか」は、この地方が鷹の町であることと、真人山に伝わる「三鷹」の伝説を採ったものでしょう。 


真澄は、平鹿(ひらか)の呼称について「アイヌのピルカ(良いと言う意味)」が訛ったもの」とか、「平瓮(神事の平らな土器)とて、陶者がいた所」などと考察しています。 

また、「ひらかの鷹は平鹿郡より出たるもの」として、この郡は古くからある由緒ある地方だと言っています。 


清原武則居城跡(真人山)

真澄:真人山

=真澄記= 
真人山の「まと」は山の名、澤の名、村の名にも聞こえるが、この増田の真人山は、いにしえ七十三代堀河院の御代、清原武則の居城の跡と語られている。 
(清原武則は、前九年の役(1056年)の猛将です。) 

また、この町に伝わる鷹の伝説についても詳しく触れていて、この「平鹿のみたか(御鷹)」も、この地方に伝わる鷹伝説から採ったものと考えられます。 

 

前九年の役> <銭かけ桜(義経伝説)>  < 三鷹物語

皆瀬川から見た真人山



こしべの沼

=真澄記= 
浅舞の近くにこしべ(古志陪)の沼がある。
五味川村の近く、沼下村の東に位置して、広さは六七尺、長さは一町もあろうか。その深さは測る人がいない。 
古川の跡で、周囲には大きさ五六尺の傘形、馬盥(うまだらい)、みみだらい、菅笠、丸盆といったような様々な形の池がたくさんある。 
この沼には「こしべの沼伝説」というあやしい噂がある。 
こしべの沼の伝説



観音寺古跡
真澄は平鹿郡上溝の郷昼河村の観音寺古跡に触れ、清和天皇時代の古寺だろうかと辿って、土地に伝わる伝説を書いています。 
観音寺伝説

大義山正平寺
=真澄記= 
大義山正平寺は平鹿郡横手にある。藤原三郎正衛が奥州中尊寺天台宗の明永山大義寺を改めて大義山とし、正衛の文字を借りて正平を字音読みして正平寺とし、禅林としたものである。 
正平寺

増田村(増田町)
真澄は増田村の起源として 
「天平の昔、増田氏の居城である増館(盆館)があり、これが訛ったもの」 
「真四角な小田に弦のように畔(あぜ)を作った様子が枡に似ていた」 と考察しています。 
いずれにしても、「増田」はいかにも縁起の良い地名だと、真澄も絶賛しています。

増田十文字村(十文字町)

=真澄記= 
十五野原と言って大なる原中に、横手・湯沢の駅道、また浅舞・増田の郷へ往復の所で、十文字街道なれば「増田十文字」と言う。 
俵の木明神、喜蔵明神、大杉ノ明神といった稲荷の社がある。十五野原と言うゆえんか。 

十五野原の狐>   <十文字村始め