奥の浦々(下北の西を巡り恐山に行く)

寛政5年(1793年)4月~6月、真澄40歳の紀行文です。

佐井から下北半島の西岸を南下、脇野沢・川内を経て田名部から再度恐山に登ります。

 

田名部で正月を迎えた真澄は、雪が消えた頃尻屋崎、尻労(しつかり)方面を歩いたようです。早春の尻屋の放牧と海の難所を尋ねたようですが、その三か月間の日記は発見されていません。


仏が浦

仏が浦

=真澄記=

牛滝の磯を見たい、浦山の桜も見たいと佐井の港から小舟で出た。

峰越しに見える福浦山の入道石に薄紅の桜が咲いてきれいだ。

 

矢越山の麓、願掛け岩を過ぎて、仏が浦の磯辺の石は高く並んで生きている仏のようだ。極楽浜の石は雪を敷いたようで、山々の花も咲いて心ときめく景色だ。

 

牛滝の近く、てんがい石は衣笠に、蛙が重なったようなかわず石、うし石が磯に伏して、近くにうし穴という洞窟がある。

山陰に滝があり、磯にうし石があるので牛滝と言うそうだ。

真澄:仏が浦


真澄:牛滝の風景

牛滝の風景

真澄:願掛け岩

願掛け岩



牛滝にて

牛滝の弁財天

=真澄記=

神明社の弁財天の祠を拝んだ。陸奥の果の秘境だが水がきれいで、水田地帯の人よりきれいに暮らしている牛馬は飼わないので家の周りには塵ひとつ落ちていない。

 

穏やかな天気で牛滝の浦めぐりをして過ごした。小舟で仏が浦~極楽浜を巡り福浦の磯辺の家で休んだ。冬の荒磯で採った糸海苔、又蔓海莓、縄苔をご馳走になった。

大黄楊(おおつげ)の峰をいくと、桜の木にアナグマが登っていた。

仏が浦の風景


長浜を歩くと歩きづらい。岩のかけらのような小石がわらじを通すようで歩きづらかったが、ようやく長後に着いた。

穴間~磯谷~願掛岩(雌矢越石、雄矢越石)・祠二つ(誉田別命・八幡社、八船豊受姫)、矢越の集落で軒にタコを干している様は藤が咲いているようだ。夕暮れになって佐井に着いた。


ほととぎすを聞こうと近くの崖や山陰を歩くと、磯辺に材木石が多く、みんな花壇のしきり、屋根石、寺の土塀に使っている。女達は豆まきや、田をかきならしていた。


真澄:材木岩と材木石


脇野沢へ

牛滝の集落

=真澄記=

尾根を越えると牛滝が谷底にムシロを敷いたようだ。津軽半島などが見渡され眺めが良い。罪人は皆このあたりに流されるのが国の法であるという。昔は蝦夷も住まなかった浦であろう。

 川に沿って進んでも里がないので心細くなったが、大山の社があり幣とって拝んだ。家が7・8軒山子を業とし、女は畑を耕し布を織っている。老婆は「鹿、猿が作物を食べ、時には食物がつき飢えることがある」と嘆くのを聞き 涙が落ちた。暗くなって、脇野沢に着いた。

脇野沢への山道



脇愛宕山/鯛島/九艘泊

鯛島

=真澄記=

愛宕山を詣でて鶴首山を上った。牛の首、立石(男根ににたり)、雌嶋、雄嶋、新井田の磯辺が良く見える。この磯の砂からまっ白な舎利石を今別から拾うにくる人がいるという。

鯛島の伝説

 蛸田・芋田を経て九艘泊に来た。ここから舟で附子泊(ふすとまり)を経て牛滝に行くという。昔は蝦夷ばかり住んでいたが、今はその子孫も絶えてしまったと地元の人から聞いた。

九艘泊の海岸



田名部へ

殿崎の稲荷神社

=真澄記=

<殿崎>

松前の領主の遠い祖先がここに城をつくり住んでいたという。その頃からの稲荷社があり金海の筆による額が半ば朽ちて残っていた。

畑を耕すと仏具などが出てくるという。

<川内>

川内川の箱舟に乗った。船頭はもと大船の舵取りであったが、大船を流した罪で今はこうして生きているとか。川上には銀杏木という山里があって、金七五三明神という古い社があるという。

川内川


清沢寺

<城ケ沢>

稲城があったところである。月照山清沢寺があり田名部円通寺の大休善遊和尚の寛文の頃開山という。

村のはずれのこぶかき杜に神明社あり。木の下暗く水流れて、草もなく麻のみ茂って朝清めする人はいないが、おのずから清げ見える。

<安渡(大湊湾)>

宇曽利川を渡り安渡の入江は、城ヶ沢より出たる崎が二里ばかり横たわって湖に等しく、船も安らで冬は鱈つり、春はニシンの網を引いて村は豊かである。崎は年ごとに長くなるので足崎(芦崎)という。

芦崎


田屋より移した願求院の阿弥陀仏は昔のまま残っているが、近頃建て替えした際、昔の梁の札に「朝日さす夕日かがやくその氐に、うるし千杯、朱千盃、こがね万両」とあったという。いわれのあることであろう。

入江の岸の林の中に三日月堂という祠あり、石斧や長い石を祀っている。肥泥村を左にみて金谷に出た。海老川を渡って万人堂のあるスギむらの道を行くと、田名部の町である。


恐山にて

=真澄記=

<宇曽利山湖>

矢立の道は細くて暗い。牛の背に大きな鍵四を結えて材木を運んでいて道をふさいでいる。昨日の雨の名残で道がぬかるみ、脇道へも行けない。

宇曽利湖は大尽・小尽(おおつくしこつくし)の陰が湖に落ちて、岸辺が石楠花が盛りで薄紫にこぼれかかっている。


<五つの温泉>

山から五種の悶石から流れる湯がある。朴消、雄黄、石塩があるので、金包、鐘、鰐口、花皿など全ての金具は錆びてしまう。

鶏頭山と林崎の明神の岡との間を雪が積もったのかと見間違うばかり真っ白い砂を踏んで湖の岸をつたわって行った。剣山の麓には、ふる滝の湯、ひえの湯、めの湯、花染の湯、しんたきの湯の湯桁五箇所あり。

女が紺の湯巻きしている。湯をひたすら頭からかぶっていて、長い髪が濡れて乱れている。十戒とならないように地獄の振る舞いである。


<舎利石を拾う>

大師堂の浜で、槲石、舎利石を拾った。舎利石は粟の大きさでアコヤガイの真珠に似ている。その中で黒い星のあるのはかえるの子のようで良いという。鶏頭山の茂みの中で人を呼ぶようにあやしく鳴くのはアオバトという。


=この後、真澄は恐山と田名部を往復しながらゆっくりと恐山の景色と湯治を楽しみます。=

真澄:宇曽利山湖周辺

宇曽利山湖周辺

真澄:宇曽利山の温泉

恐山の温泉