外ヶ浜づたい<2>(青森を出て三厩から松前へ)

天明8年(1788年)7月から真澄35歳の紀行文です。 

馬門の関(野辺地)から青森を経由して下北半島を海岸沿いに歩き、三厩から舟に乗って松前へと向かいます。

 

蝦夷に行こうと決めて出立し、青森で天明の飢饉の惨事を見て断念してから3年、野辺地を出て青森を経由、津軽半島を海沿いに歩きます。三厩では風待ちで数日過ごしますがようやく念願の蝦夷地(北海道)に上陸しました。旅慣れた真澄も揺れる舟では悪酔いして難儀だったようです。


大浜(油川)の琥珀漬

大浜(油川)

=真澄記=

沖館・新田を経て大浜(油川)に宿を借りた。雨風が激しく、温かい湯に入り情をもらった。

主人が青森の琥珀漬けと一緒に酒を勧めてくれた。琥珀漬けと言うのは、ほやを酢に漬けた「酢ぼや」が琥珀に似ているのでそう名付けているらしい。

油川の由来

真澄:酢ぼやと肴



道作る人々

アイヌのアトゥシ

=真澄記=

浜を行けば道を造る人々がいる。蝦夷人(アイヌ)か木の皮の糸で作るという阿通志(アトゥシ)という服を着た者、生地に縫い物をした服(刺し子)を着た者、男女入り混じって金へら、天鋤・たちなどを携えて集まっている。

 

<蓬田(よもぎだ)村>

来かかる人々みな「よごみだ村でそうろう。」と言う。このあたりの人々は、蓬(よもぎ)を「よごみ」と言うらしい。

 

蟹田の厩を過ぎた。川があって、舟を綱で引いている。

 

真澄:工事の道具



根岸雑感(平舘)

真澄:野田の浦

=真澄記=

野田の浦を過ぎれば根岸の浦だ。この辺りの人は「ねっこ」と言う。

ここの人々は病に苦しむ人が多いと聞く。昔はこの辺は人家がなかったが、男女幾人かが船に乗ってきてここに住み着き、男は砂採り・女は織物で暮らしているそうだ。

 織物は「割織」と言って、麻の殻蒸の糸を織って毛布のように厚く織っている。出羽の国にも割織があるがそれとは違う。越前の織物に似ている。この村の幾人かは「越前から来た。」という物がいるので合点した。越前では「根っこかみ衆」と言う。


この磯山かげに湯泉があって「ねっこの湯」という。

 平舘を過ぎて石崎の浦を経て、ころころ川という浦があった。小石の多い小川のほとりで休んだ。

「時も今 かじか鳴くらしころころと 名にたててゆく秋の川波」



宇田・高野崎

=真澄記=

宇田の磯辺を渡った。鉾が崎と言う人が踊っているような岩がある。磯近い風景は鷹狩人の狗飼い・あるいは山人が居るようにも見える。

門建岩に窟の観音という鳥居がある。昔鬼が籠った岩宿だと言う。かたがり石を見て綱不知という名の浦に来た。

 

奥平部(おくたいらへ)を過ぎれば茜澤の浦があって、小高い丘に生い茂る草木の根まで皆赤く、渚などは血を流したようだ。あかいそなという魚はは赤い色が濃い。浜の砂も赤く猩々石とも言うそうだ。最近はこの浜を錦浜と言うと聞く。

砂が森を過ぎて鷹の岬(高野崎)を経て海辺の道がある。大石が立って鷲の声も聞こえて凄まじい荒磯だ。胎内潜とも犬潜とも言うそうだ。

真澄:鬼の門建岩

宇田の磯辺

茜澤の赤石

高野崎



袰月を過ぎて

真澄:地蔵滝・舎利浜

=真澄記=

袰月を過ぎて舎利浜に来た。地蔵の滝が落ちている。

地蔵菩薩は今別の本覚寺の貞覚和尚の作で、この僧は世に聞こえた人だが故郷の今別に帰った人なのだとか。

この滝の末には黒い砂の中に露のような石舎利が混じる。これは沖に舎利浜石という大岩があって、その破片がここに寄せるそうだ。

 

深澤を磯には、盃岩・鯉岩、あるいは武蔵坊のあしたか・かけ金・銚子・犬の首・像の形などがあって楽しく巡った。

 

袰月を過ぎて



今別にて(外が浜の磯)

本覚寺

=真澄記=

都川(今別川)を越え、高徳山正行寺を過ぎて智覚山本覚寺に来た。

昔博多の高僧が袰月で三日ほど釈迦の説法をした。集まる浦の人々を見て「通路の外まで照らす袰月は何と尊いことか。」と言われた。

同じように、外が浜(今別)の磯も行きかう旅人に優しく波打つ。

<今別石>

今別石(錦石)と言って浦人が浜で磯輪の玉を拾う。翡翠(ひすい)はもと蝦夷の名だ。ここにあるのは皆宝石である。

正行寺の飛龍の松



三厩の浦

=真澄記=

波の向こうに松前が見える。三厩の浦に着いた。三艘の大きな船が磯近く繋がれている。

この浦に神明社がある。御厩石を上ると観音堂がある。これは円空が開いた龍馬山義経堂である。

観音堂縁起

真澄:御厩石

御厩石

真澄:三厩の浦

三厩の海岸


龍馬山義経堂


「やませの風が吹かねば船は出ない」との話を受け、真澄は宇鉄という寂しい漁村まで行った。

竜飛岬まで嶮しい岩石海岸で人家もない外が浜の果てだった。盆の魂祭の日で、村人たちは磯山の墓地へ登って行く。このあたりは海と山に狭ばめられた土地なので、死者は烈風の吹く岩山に葬られ、風葬に近いものである。

村人は灯をともし鉦鼓をうちながら「なむあみだほとけ、なむあみだほとけ、あなとうと、わが父母よ、おじ、あねよ、太郎があっぱ、次郎がえて」と叫んで亡き魂を呼び合っていた。



松前まで

真澄:竜飛岬

やませの風が吹いて支度して待った。小舟で出て大船に乗った。

帆を張り追っての風を受けて船は進む。竜飛岬が見える。いささかの波も感じない。

 

中ほどになるとやけに波が高い。「いやな男とやませの風は そよと吹けども身に障る。」とのたうち回って歌う。

柱も折れんばかりに風が吹き、波にゆらめく落ち葉のようだ。

船底から出て海を見た。手を合わせて神に祈った。

 

犬の声が遠くに聞こえる。島が近いが暗くてよく見えない。

水鳥の鳴き声も聞こえて港の灯が見える。朝日が差してきた。

島の姿が良く見えてきた。港に沢山の船が見える。

松前に船が着いた。

竜飛岬