十曲湖(十和田湖)

文化四年(1807年)八月、真澄54歳で十和田湖へ出かけます。 

この当時からも十和田湖へは「発荷峠」を越えて行くのが主なルートでしたが、真澄は毛馬内(鹿角市)を出発、小坂・七滝をへて鉛山峠を越え、十和田湖(以上小坂町)を探訪しています。 

まずは「十曲湖」(とわだのうみ)をAKOも探訪してみましょう。


 

七滝の明神

真澄:七滝

=真澄記= 
山坂を下りると藤原と言う村があった。 
ここをいささか行けば、七級に落ちる滝がある。 
麓に七滝明神という神を祀ってある。峰に長滝山と言う観音堂がある。
その七滝の神は大きなおろち(蛇)だと言う。

七滝神社(龍の神社)

七滝



城が倉(熊坂の展望)

真澄:熊坂の展望

砂子澤と言う高い巌の左右の川岸に、平らな所がある。将軍義家がここで休んだを言う伝説がある。 

熊坂の峠で休めば、南に岩手山、北に津軽の岩木山、西に出羽の森吉山など、八重の高山が雲の中にある。
熊坂の展望

熊坂の峠から岩手山の眺望



鉛山

鉛山

23日雨に降られて、今日こそは、、と外に出てみれば、礫をうすでつき、石かねがからむ音が聞こえる。
草節鉛を産出している音だ。

鉛山



鹿角発荷(発荷峠)

発荷峠から十和田湖の眺望

=真澄記= 
抱返し(だきかえし)の崎を過ぎて、鹿角発荷になった。木の中に鳥居が立っている。 
大湯の里を経て白澤越えをする人はここを通っていくことになる。 

ここから見た湖は、奥の海、中の海、鹿角海と言って、曲(わだ)に隔てて三つの名があるようだ。

発荷峠から休屋を見る



休屋  

真澄:十和田神社

=真澄記= 
夏の頃、あまた人が集まり、まろねして、あるいは小屋にこもったりしている。 
草の中に細く横たう流れを「解除(はらい)川」と言う。手を洗い、口をそそぎ、身も清めている。 
ここから五戸・六戸へ行く路がある。その路の入り口に、黒い木で作った鳥居があり、杉の神門を入って下路を行くと堂がある。青龍大権現という額がある。傍らに六柱の小祠がある。

難蔵法師の伝説> <一説南草坊> < 八郎太郎の伝説

休屋の十和田神社


<休屋の一夜> 

山人と一夜を共にした。人々は靴をぬぎ、飯を出して各々が採ったマユタケ・ヒラタケ等の茸を煮ている。 
「こたたき」「かつとり」と知らぬ言葉を聴いた。彼らは雪が積もれば山で猟をするマタギであった。これは彼らが使う山言葉(山詩)であった。 
大きな木を重ねて燃やして寝た。狭い小屋なので寒さを知らず眠った。


湖の周囲  
=真澄記= 
高い所に登って見ると、松倉山、血柏(おっこ)が岳などが見える。 
打破澤(ぶっこわれさわ)の女鯉滝(めこいだき)、五十曲山の白糸の滝、根の口滝、白澤の滝など、面白いところがたくさんあった。 

この湖を見るならば、三四日あっても足りない。

真澄:冑嶋・兜嶋

真澄:銚子瀧

真澄:津軽八甲田山


冑嶋・兜嶋

銚子瀧

津軽八甲田山


真澄:止瀧

真澄:扇平

真澄:白澤村の三寶荒神社


止瀧

扇平