すすきの出湯(大滝温泉から大葛鉱山、白糸の滝へ)

享和三年年(1803年)真澄50歳の紀行文です。 

前年「しげき山元」で太良鉱山を見た後、大滝温泉で新年を向かえます。 
今は。すたれた正月行事を細かに観察しているのは見ものです。 
真澄が大滝温泉で見た正月行事 >

この後、真澄は十二所、扇田、大葛などを見て、森吉の白糸の滝(現在の森吉ダム)を紀行しています。


十二所
=真澄記= 
この里の高祖に十二天を祭り、新山、本山、道陸神という神を祀っている。この新山堆(たい)というのは昔柵があたところか。 
川のかなたに、葛原、猿間、軽井沢などの村があるが、大雪に埋もれ、雁が過ぎていった。 

ここかしこに機(はた)の音が聞こえる。篗(わく)を引くと言って男も紡車(いとぐるま)に携わっている。綿花の糸をつまんでつむぎ、女は織っている。十二所木綿といって、つややかで、糸が細く真似のできないものである。

大滝の湯(すすきの出湯)

真澄:すすきの出湯

=真澄記= 
薬師仏の堂に出た。その傍らに出湯がとくとくと湧き出る所に板を敷き、土をのせてすすきを1株植えてある。もう芽ぐんでいた。 

その由来を訊ねると、遠い昔、不思議な老人が卵の殻に湯を詰め、これをすすきのツトにつつんでここに捨て去って行って以来、ここに温泉が湧き始めたと言う。 
それは神か仏であったのだろうと言って、ここにすすきを植えるようになったのだと言う。 
秋になると六・七尺と生い茂り、尾花の穂波がなびいて、見物にやってくる人が多い。この温泉のすすきの出湯とか、たまごの湯と言うようになった。

真澄:大滝温泉


大滝温泉

大滝温泉神社

温泉神社にある源泉



達子/扇田

真澄:達子の森

=真澄記= 
田子の杜、あるいは達子の杜という小山を左手にして、扇田の村が川べりに立ち並んでいる。 
ここで毎月三度の市が立つ。女は菅笠を手仕事に麻早くから作っている。朝顔、鏡笠、雪下ろしなど各種の笠や田植え笠を、暇もなく働いて、一日五百個も縫い出すと言う。

犀川から達子森



=AKOmovie= 

ここから真澄は犀川を登り、大葛を経て小又渓の白糸の滝を見に行きます。 

今は犀川上流は森吉ダムの太平湖となって、真澄が記した大半の村は湖底に沈んでいます。真澄が見た白糸の滝は、今は森吉山荘の裏手に位置し、開発されてしまいました。


独鈷

真澄:楽森

=真澄記= 
味噌内という村を左に見て独鈷に着く。去年来た時は雪がさかんに降っていたが、春になって門前は青葉で埋もれている。 
ここには鈴掛の雉といって、首に玉模様のある雉がいてたいそう旨いそうだ。 
大日堂を左に折れ、庚申堆(かのえづか)という村を過ぎた頃、楽森というところがある。浅利氏が栄えた頃、人々を集めて管楽と行ったところと言う。

独鈷の森



炭谷沢/森合

真澄:九郎坂からの眺め

=真澄記= 
かくて山中を行って左手のほうに炭谷沢がある。小金を掘る山があるとか。 
森合の村に近く、九郎坂に登ってみれば、谷陰に大きな桂木から生い茂り、向こうに山桜やうす青葉が茂って良い景色だ。 
大渡村から長部、森越など、川越に見渡される。 
行く路の傍らに木で作った弓を作って北に向けて引いたようにして掛けている。「怪しい鬼が出たらどこまでも追って行く」という土地のまじないだ。

森合の唐傘松



大葛

真澄:大葛の村

=真澄記= 
川下「大葛」と言ってに56軒ほどの軒を並べた村がある。 
小金を掘る「大葛」はここから山道を遠く行く。左にその火が見えた。

犀川から大葛の村



六郎川

=真澄記= 
軒近くみなぎる川を六郎川と言う。この奥にやびつ(山水のたぎる所)があって、そこにいつの頃からか隠れ暮らす人の棲家があった。畠も作って人々は六郎殿の館と言った。 
このあたりは砂子沢、大摺臼川などが一つになって六郎川に落ちて静渕と言う。人々は春は蕨、秋は茸、川渕で鱒などを獲って暮らしている。

真澄:砂子沢


松陰の険

真澄:松陰の険

=真澄記= 
岩の面の手がかり足がかりに力を入れ、身をひそめ、「つかまりこそ命」と伝って行けば、一枚の板を橋にしている。危ないことこの上ない。 
ここは松陰、あるいは松の懸と言うところだ。この下に硯台という所があると言う。見るのも身に寒さを覚える。


更に下ると幣陀の飛泉(へんだのたき)と言って、巌が高く水がせまってごうごうと鳴り、沸きかえっている。この水に鱒が上るのを待って、ヤスで突いたり、小鍵を持って潜りつかまえて、イケスに鯉のように飼うと言う。

真澄:幣陀の飛泉


=AKOmovie= 
今は森吉ダムの「太平湖」となっていて、そのほとんどの家や渓谷が湖底に沈んでいます。当時はどのようなものだったのでしょうか。


白糸の滝

=真澄記= 
白糸口というところを過ぎて白糸沢に入った。その滝はへ左手奥のかなたにあって、小舟に漕がれて行った。 
岸に着いて、不動尊の鳥居に入って行くと、夏草が生い茂っている。露に濡れながら岩をよじ登って振り仰いだ。 
高い岩根から風を翻して掛けるように落ちてくる。吹雪のような白い泡が山風に吹かれて袖を濡らす。身が寒くなるような水の雲霧だ。

真澄:白糸の滝

白糸の滝

真澄:白糸口

白糸口



機織淵

=真澄記= 
白糸沢の先はと言えば、青く澄み渡って、岸へ波がさらさらと打ち寄せている。深さははかり知れない。 
その淵を「機織淵」と言って、付近に女があって機を織って住んだと言う。その織姫を水神をして祀っている。夜更け、人が寝静まる頃、水の底から機を織る音が聞こえるを言う。


小股温泉

真澄:小股温泉

=真澄記= 
川伝いに出て山陰を分けめぐると小股の温泉に至る。 
湯は極めてぬるいが、湯桁を立てて心持ち温まった。館はあるが人々がたびたび訪れることはなさそうだ。 

同じ小舟に乗って機織淵を通り、湯の台(松陰の険)まで戻った。

小股の温泉(そま温泉)



大葛鉱山

鉱山の墓群

=真澄記= 
大谷村に来て長田治兵衛という翁の館に泊った。翁は毛布(鹿角)の人で、小豆沢の大日如来を守奉る阿部左京の子孫とかで、「蜻蛉(だんびる)長者物語」(けふのせば布を参照)を語ったりした。

鉱山の跡


この後、黄金の山と言われる大葛山に行った。この日は節句で、挽臼、踏臼、金臼が所狭しと並べてあり、かさかけ、せりもの、水流し、口吹、寄せ吹などの選鉱精錬の仕事も今日は中止していた。 
萬會物語   <鉱夫の話   <市ノ丈物語  <嘉左衛門と清七の物語


大渡(大亘)/森合

=真澄記= 
大亘の村に来た。川を隔てて夏焼という所に二つ三つの屋根が並んでいる。 
はるか見越せば姥ケ嶽に雲がかかっている。この嶽はうば神と言って観音菩薩をすえている。そこを願生が澤を越えて龍が森と言う。


森合に来た。この村に住む岩水佐左衛門をいう翁がいた。九戸の乱を避けてここに住んだが、その後栄えて梨の林も持つようになった。ささやかに茶を作ろうと、西の寺をめぐり、見よう見真似で作っている。翁の求めに応じて「岩根松」「美都の千代」と名をつけて翁を別れた。

真澄:森合村から姥ケ嶽を望む

夏焼

森合から姥ケ嶽

森合の旧家



再び独鈷

大日如来堂

=真澄記= 
大日如来堂の詣でて、浮島の池、天童田などを見た。
堂の前の庵のほとりに、無縁塔のような、石を三重四重と積んでいる。字はかすんで見えない。病む人は藁をこの石に巻き、癒えれば縄を解く風習があるそうで、名を「しら山石」と言う。 
ここを出て、金剛山竜生寺に休んだ。犀川の向こうに大保稲成の杜が見える。

独鈷の山々



大滝温泉へ戻る/長泉寺

米代川沿いの大滝温泉

=真澄記= 
藤庭山長泉寺に入ってあるじと語り合った。 
願生坊物語>    
この寺の前に古塚がある。この塚に大きな藤があって蛇が住むという。里の子等はもっぱら藤寺と言う。 
藤寺の言われ> 
寺の隅に梵字の石文がある。藤は年々生いて茂り、花はまれになったそうで、境内の古い松のもとに若根を移したそうで、ここに腰掛けて物語を聞いた。

米代川沿いの大滝温泉