けふのせば布<2>(湯瀬から田山、一戸まで)

天明五年(1785年)真澄32歳の紀行文です。 


錦木塚(鹿角市)を見て浪打峠(二戸市)から南に向い、盛岡、花巻をへて片岡(江刺市)に至る紀行文です。 

けふのせば布<1>では鹿角から湯瀬までの紀行を紹介しました。 

ここでは、湯瀬を出て浄法寺、浪打峠を経て一戸までの紀行を紹介します。


湯瀬を出て

兄畑の駅

=真澄記= 

湯瀬を出る客は皆衣を震わせて旅だって行く。 


遠く小沢(一戸)の南に長牛というところがあって、山から砂金を掘りに行くのだという。帝の御代が栄えるよう、陸奥の山は昔からどこでも黄金の花が咲いているようだ。

折壁の「田山関」跡


兄畑、佐比内を経て折壁という里があった。あら垣の関所があった。自分の持っているお金はほとんど使い果たして、椎の葉に盛る量もない。ゆくゆくはこの薄い衣も売らねばならないのかと思い、役人に言ったら「他人も同じである」と笑っていた。


田山の「めくら暦」
=真澄記= 
田山というところに着いた。 
この辺では、字を読み書きできる人が少なく、「めくら暦」と言って、春から冬までの月日を絵に描いて田植えや耕作の時期を知るようだ。 
世の理(ことわり)とはこのようなものと、関心した。

今も残る南部めくら暦

田山は花輪銅山の入口

米代川も上流の域



曲田

曲田の一里塚

=真澄記= 

苗代沢村の梨木峠を過ぎて曲田をいうとことろに来た。牛を追う男が、「今日はもう里を行って家に急ごう」と先を行く子等に言う。 

道を問えば「一塚」と言い、あるいは「一町」と言う。 

六町を一里とし、七里をもって「一塚」としているのは、この地方の習いのようだ。

梨木峠の入口


曲田の屋敷

牛馬の行きかう路は、田のようにぬかり、足を深く差し入れないと歩けない有様で、日は高かったが曲田に着いて、ここで宿をとった。 


夕方、雨は止んだが霧が深い。外山で鹿が声高く鳴けば、同宿の者が窓の方に顔を向けて、「あの山で鳴いているんだろう。」と言う。「鹿は世にも面白いものだ。」と語ってくれた。

伝わる鹿踊り「ささら」(資料)


「何かしかの神の夜(お祭りの夜)、笛太鼓や踊りで夜を明かすと、その音にうかれて、放っている野馬に混じって、角を振り立てて鹿も踊り出てくる。子供等が叫ぶと、皆木陰や山に入っていく。萱野に隠れて見ていると、本当に楽しいものだ。」 

それをうとうとしながら聞いていた翁が、「そう、今の獅子舞は鹿踊りを見て始めたそうだが、本当だろう。」と語る。 

鹿の声が止みそうもないので、枕をとって休んだ。


浄法寺

法寺駅(市バス)

=真澄記= 

梨木坂より東は二戸郡だ。保登沢、石神、中斎、駒ケ岳を経て浄法寺村についた。 

多くは、椀、「おしき(【折敷】檜(ひのき)のへぎで作った縁つきの盆。食器などをのせる)のような物を作って生業にしている。 


昔、ここは浄法寺某という人が住んだ所だそうだ。

浄法寺の漆器



桂清水

吉祥山福蔵寺

=真澄記= 

浄法寺の吉祥山福蔵寺の活龍上人と語らって、ここに泊まろうとも考えたが、思い立って石淵、岡本などを過ぎて旅した。 


老法師から声をかけられた。「どこに旅するのか。」「色々なところを訪ねてみたい。」「それは良い、ここにも桂清水と言って、尊いところがあるから、訪ねてみればいい。」

浄法寺の天台寺


行ってみると、古い桂の根から清流が細く流れ出て、祠を建てている。 
これ(天台寺)は、昔円仁大師が夢を見てここに建てたもので、寺の観音は行基(奈良時代の僧)の作と言われているそうだ。

桂清水

天台寺の清水明神

行基作と言われる観音像



金葛村

金葛の集落

=真澄記= 
山路をはるばる来て、金葛という村に着き、宿を借りた。 
薄い衣を敷いて、横になっていると、荒れた戸板から夜半の風が吹き込み、寒くて眠れない。風邪をひきそうだ。 
「衣を重ねよ。」「枕を硬くしよう。」と世話をやいてくれた父母の深い情を思い出して、涙しながら眠りについた。

築館の田園風景



浪打峠

浪打峠の交差層

=真澄記= 
築館、十日市、中澤、一戸へと進めば、「浪打坂」「浪打峠」にかかった。 
上れば、土の中から波間から拾うように小貝を掘って筒に入れる旅人がいる。 
この山を越えれば、福岡(二戸)に郷に出ると言う。

今でも小貝が散らばる



小澤の杣家
=真澄記= 
栖穴村、白子坂、荷坂、宮口から小澤に着いた。 
小澤に一夜の宿を求めた。屋の主の女、「米が一粒も無いので宿はお断りする。」とのこと。 
「一夜ぐらい食べなくてもよいから、遠く疲れた足だけでも休めたい。」と懇願すれば、「さらば、、」と泊めてくれた。だが、粟の飯に塩漬けの桃の実を添えて出してくれた。彼らは粟の飯のみであった。 

=樵(きこり)のいでたち= 
夜、物音で目が覚めた。宿の老人が何やら磨いている。枕をもたげて覗くと、囲炉裏の傍で鉞(まさかり)を研いでいる。 
これは命が無いかもしれない。金を奪うのか衣を剥ぐのか、、、錆びた短刀に手をやった。 
光る目に白髪を振り乱して研ぐ様は、それは恐ろしい。 
突然戸が開いて、顔を白布で包み鉢巻をして、ケラと言う蓑を着て、その首には幅広の鉞(まさかり)を差している。 
「囲炉裏の中に足を差し入れて寝ているのは誰だ!」と聞かれ、「旅人だ。」と言う。「一人か?」と聞かれ押し黙った。「夜明け前に、、、。」と言うに、もう心も落ち着かず、恐ろしさはいかんともしがたい。 
皆声が高く、集まって「兄な、兄な。」と言う。応えがない。「春木も大きく、板しきも通れと二打ち三打ちするぞ。兄起きよ、起きよ。」と言うに、宿の老人が鉢巻をして同じように装い、門から歌をうたって出て行った。 
なんだかあきれた気持ちになり、起き出して女房に「どこに行ったのか?」と聞くと、「山に行った。」と言う。 
まだ夜が深い、、、と横になった。いかばかり人を疑うものか。赤子の頃より鬼も仏も人間が作り出したものだ。と言うが、こんなにもたやすく作り出すものか、、、、と恥じ入って伏した。