かすむ駒形<3>(達谷山王窟と正月行事)

天明5年(1785年)鹿角市から二戸市を経て江刺市にきた真澄は、前沢の鈴木常雄を訪問します。 

また、翌年は徳岡(胆沢町)の村上良知の家で新年を迎え、中尊寺に詣でます。また3月には一関市の配志和神社に詣で、平泉方面に遊びます。 

「2」では胆沢徳岡を出て、中尊寺、一関を紹介します。 


遠く蝦夷の旅を志した真澄ですが、天明の大飢饉を経験し、大勢の民が苦しみ、家畜や病人まで食べ、路傍に朽ち果てる髑髏を見て蝦夷行きを断念します。3年あまりの岩手の生活をしながら再度蝦夷への旅立ちの時期を待ちます。このときの周囲の人々の親切は心に響くものがあったことでしょう。


達谷山王窟

達谷窟

=真澄記= 
26日、今日は達谷村の山王窟を見ようと、千葉某の案内で深雪を踏んででかけた。高い窟の中に堂を作ってある。 
梯子を昇ると中は割りと広い。真鏡山西光寺と言って、坂上将軍田村麻呂の建立で108体の毘沙門天を安置し、鞍馬寺を遷した所だそうだ。

達谷窟縁起 

毘沙門堂


昔、赤頭(あかがしら)、達谷(たかや)などと言う者がこの窟に篭って悪さをするのを、田村麻呂の君が打ち平らげ給いしと言う。 
大きな円相(えんそう)の中にささやかに田村麻呂将軍の霊像(みがた)を据えて祀っている。 
その右手には唐の軍扇を持っている。 

<正月二日の火祭り>
正月二日の夜は、松明を投げ合う祭りがあるそうで、板鋪、柱みな焦げている。この祭りを「鬼儺(おにやらい)」という。このため、昔から焦げていたのだろう。 
百体8柱の毘沙門天も、年を重ねて今、10体を残すのみである。 

「蛇(おろち)の歯」、「鬼の牙」などの宝物がある。中尊寺で見たものとひとしい。


姫待が瀧

=真澄記= 
梯子を降りて歩く。5尺ばかり高いところに、「鼻垂(はなたれ)大仏」が岩面に刻まれている。 
これは、源義家将軍が、弓の上筈(うわはず)で彫ったと言われる。何の仏の頭であろうか。

岩面大仏

岩面大仏資料

岩面大仏


「姫待が瀧」や「かづら石」という所がある。 
この瀧のもとに達谷(たかや)が身を潜めて、女の通るのを捕まえて、カヅラのツルで縛ってこの石につないでおいたそうだ。


<九葉の楓>

また、葉室中納言の御娘をも捕えられた物語がある。 

ここに「九葉の楓」という、秋にはそれはきれいな楓樹があるという。日陰に解けた雪をかきわけて朽葉を拾った。


正月の慣例
=真澄記= 
2月朔日、今日は「松の林に竹の森」とて、栗の木の鬼打ち木(門松)をたてている。正月の門松に等しい。 
厄年の人がいれば、「歳直入(としなおし)」と言って、正月のように祝う。 

何事も、胆沢の郡は、年の始めの門松も栗の木を庭中に立てて、竹のうれ(葉)に餅を挿して、田の神、星祭の守礼などと飾る。 
15日には、臼、杵、鋤(すき)、鍬(くわ)にも、竹にはさんだ餅を刺し供え、18日まで小豆粥をたべる。稲の穂を束ねた太い箸を作って、食べる。18日を過ぎれば、その箸を屋根裏に打ち立てる習わしと言う。 
また、この近くの山ノ目(一関)では、門松も年を越した若松を立てて、その枝にカツラの巻きつけると言う。 

<火棚の火埃を消す呪> 
2月二日、厄年祝に行きかう人が多い。道の雪も平らになってきた。 
上、中、下みな「うちあげ」と言って、若男どもが沢山酒を飲み、唄っている。たきつけのホタの火焔が高々と燃えて、火の粉が散って火棚に煤(スス)がつくのを指採って、お互いに鼻に擦り合っている。火消しのまじないだそうだ。 

<年縄引きの祝い>
2月3日、今朝は「若水汲むぞ」と称して、深雪を踏み分けて汲んできた。 
今日は「注連縄(しめなわ)引きの祝言」とて、小豆粥を食べ、終日酒を飲んでいる。 

<病神避の祭り>
2月8日、今日は「疫病(えやみ)の神の天下る日」で、これを避ける祭りとして「しとぎ餅」を作って、汁小豆と煮て神に奉し、皆で食べる。荒神祭のようだ。

童の春遊び
=真澄記= 
2月14日、今日は空晴れて長閑である。 
雪踏みならし、藁撒き散らし、莚(むしろ)を敷いて、童が沢山群れ集まっている。 
笛を吹いて、太鼓、銭太鼓、調拍子(てひらがね)に囃して、「鹿舞」のまねをし、また、「田植え踊り」の真似をしている。 

<高館もっけ>
箱の蓋を頭にかぶって、「念仏踊り」の様をし、また「剣舞」をしている。 
この「剣舞」は、鬼の仮面(おもて)をかけ、袴着、たすきをして髪を振り乱し、軍扇を持ち、太刀を佩き剣を抜いて舞う。 
この剣舞を「高館物化(だかだちもっけ)」と言う。これは、昔高館城が落城の後、様々な亡霊があらわれたため、荒ぶる亡魂を弔うために、物化(もっけ)の姿になって念仏を唱え、盂蘭盆会ごとに舞ったものだと言う。 
これを童の春遊びとしたのも、不思議なことのようである。 

<琵琶と磨り臼の昔語り>
21日、某都・某都(なにいち・くれいち)という盲目の法師が来て、門前で三絃を弾く。童どもは、「浄瑠璃はいやだ、むかしむかしの物語を聞きたい。」とせがむ。 
法師は「いつごろの昔がよいかの?」と語りだした。 <琵琶と磨り臼の昔語り