おがらの滝1(八森、峰浜を経て達子へ)

文化4年(1807年)真澄54歳の「浦の笛滝」に次ぐ紀行文です。 

真澄は前年に能代から岩館に旅し、笛滝を見て終えています。 
「おがらの滝」では、岩館を出発、八森をへて峰浜村一円を巡り、大柄の滝(能代市)を見ます。 
その後能代から豊岡・下岩川(以上山本町)を巡り、能代・二ツ井・鷹巣・大館をへて、雪沢(大館市)から南部領に入るまでの紀行文です。


岩館から八森
=AKOmovie= 
真澄は岩館から舟で笛滝を見て八森まで来ます。

真澄:笛滝

真澄:立岩

真澄:八森の元館(本館)


岩館

立岩

八森


=真澄記= 

八森は、「大母爺社」「小母爺社」「狐杜」「大糠社」「子糠社」「祖神社」「佐々社」「種津社」をもって八と言う。 

また、瀧の明王堂に詣でる田畑女は「~八森のもや(母爺)のとんけの八重桜、枝ははちもり葉は能代、花は久保田の城と咲く~」と唄っている。


瀧峰山松源院

=真澄記= 
秋田の郡松村村の亀象山補陀寺の八世、察心寿鑑和尚を開山として、曹洞の流れで松原院と言う。 

朱雀院の天慶七年の大地震で村全部埋もれたが、地蔵菩薩は土から、観世音は瀧の底から掘り出して西に寺を興した。



白瀑神社

=真澄記= 
最近は、この瀧の明王に仕える修験者によって瀑布山天瀧院とも言っている。 
瀧の頭に小祠があって紫銅の不動がある。朽木のように立っている。 (雪の陸奥雪の出羽路) 
この不動尊は、比叡山自覚大師の手によるものと言う。 

不動尊縁起



薬師峰

真澄:薬師峰

=真澄記= 
母爺(母谷)の薬師峰に登った。水が三又に分かれる所を堤の神と言って水の神が祀られている。 山深く入ると、四十八滝というのがあるそうだ。 
山の中腹に大きな鐘があって、ここに来た人はこれをたたくが、音ははるか沖の方まで鳴り響くと言う。路は曲がりくねっていて、たいそう険しい山だ。 
峰に着いた。母爺(母谷)大権現と唱えて薬師を置いている。 
母谷とは、蝦夷の言葉に「靄(もや)」のことだと言う。

母爺の薬師峰



元館村(本館)

真澄:元館の里の桜

=真澄記= 
八森の東、元館の里へ桜を見に来た。 桜の枝が松の枝振りに似て、楽しい。 
ここは、甲斐の国が乱れていた頃、武田重右衛門尉源が母爺(母谷)の梺(ふもと)に柵を構えたのが始まりだ。 
その後、母爺(母谷)の館に移ったので、元館と言った。 
泊川のあら瀬を隔てて桜が咲いている。

本館の集落



目名潟

目名潟の集落

=真澄記= 
御山の日揚神社に参った。正観音像を祀っている。 
昔、秋の実りの頃、毎日が雨で人々は、「この秋は実りはない。この年は命もないだろう」と思った。 
「涙の雨も晴れる空があってのこと」とあわれに思った圓仁(慈覚大師)が、天に祈ると。三日ばかりで空は晴れ渡った。村人は喜びのあまり、神を祭(いわ)って日揚の社を建てて祀った。 
村の名を「目長田」と言った頃のことである。

目名潟の日上神社



大久保岱/手這坂(岩子)

真澄:手這坂

=真澄記= 
ここの村には宇治という姓が多い。山城の国宇治の人が世を忍び、ここに田を墾いて住んだ。その末裔が宇治を名乗っていると言う。 
しばし行けば手這坂と言う。家四五軒、川のほとりの桃の花園に隠れたようにある。 
この坂の上に立って見ると、まことに流れの上の隠れ里とはこのことかとも思う。

=AKOmovie記= 
真澄に桃源郷と詠われた峰浜村手這坂では、生活のすばらしさや保存に力を入れています。

手這坂の集落


手這坂遠景

真澄:岩子村の蝙蝠渕

蝙蝠渕



強坂(内坂)/横内

真澄:子を産む石

=真澄記= 
上強坂に阿弥陀堂がある。古い墓誌石が多く文字も消えて見えない。 
堂の中に二つに割れた大きな石があり、傍らに人の形をした小石が置いてある。この石を貰い受けて、子の無い女の守りや、子を孕んだ守りとするそうだ。近隣の村からもやってくると言う。 

横内の村で、猫森の十一面観音菩薩に詣でた。 
仏は園仁(自覚大師)の作か。元は陸奥の深浦にあったものを、船人がここに遷したものだそうだ。そのとき、そこらの猫もその後を慕い、ついてきたそうで、堂の後ろに大猫が住んでいたという大穴があいている。

猫森の神明社



大柄の鉱泉

=真澄記= 
十割田(外割田)、砂子田・山谷村を通って大柄の村へ来た。 
藤の下陰に薬師仏の堂がある。堂のほとりに寒泉(しみず)が涌いて、水硫黄(湯の花)が流れている。 
これを樋に流し、柴を焚いて温湯として、田植えの頃は人が群れをなして浴すると言う。


大柄の滝

=真澄記= 
真木の平から太渓(みたに)に降りた。石の不動尊が立っている。 滝は、はんぞうの水をこぼす様に、山風を起こして落ちている。 
滝つぼは広くて千人も入れそうだ。 アマツバメが群れていて、あちこちの岩の狭間に巣を作っている。



梅内の和光院

梅内のいちいの木

=真澄記= 
梅内と言うところに来た。ここは昔湯泉があって、「湯目内」と言っていたそうだ。 
和光院の験者があって、庭中に三尺重さ卅貫零の石がある。これを叩けば、金鼓(ごんぐ)の音がする。三河の岡崎にも金石というものがあり、これと同じだ。美濃の国赤坂山の石をここに遷したとする人もいる。

梅内神社



達子の一応院

=真澄記= 
達子の村に来た。 
常楽山一応院の軒よりはるばると坂を登れば、堂の内に阿弥陀仏、薬師仏、観音菩薩が置いてある。 
昔鷹城の南の芹澤のほとりから遷して、独鈷と言ったのを達子との文字になったそうだ。

    達子の森